京都観能復帰は素謡と仕舞の会

7/2日に豊田市能楽堂で観能復帰をしました。7/9日は京都観能復帰。やはり京都ならば素謡でしょう。

木賊を素謡で聴くのも初めてだし、木賊自体を能で観たのは、宝生流能役者、高橋章師の演能を国立能楽堂で観て以来。たぶん、17年前くらいかな。その時、木賊の位が理解出来なかった。

今回、素謡とはいえ舞台から感じる位を感覚と肌がどう感じるのかがポイント。

やはり、いつもの席は落ち着くなあ。

素謡賀茂

シテ片山伸吾

前ツレ河村和貴

後ツレ河村浩太郎

ワキ吉浪壽晃

地頭大江又三郎

片山伸吾師の藝を聴くのも、去年の砧以来だなあ。脇能だから、強く太い謡でいくのかなと思っていたら、そうではなく地を這うような締めた謡。普段は調子の高い伸吾師も、かなり抑えて例えるならF1のウイングをめいっぱい立てて空気抵抗で重心を低くしたかのような謡。凛とした締めた謡は舞台の場を整える役割を見事に果たしていた。

仕舞五番

班女の浅井通昭師が立ち込める香り漂わせていた。

素謡井筒

シテ林喜右衛門林宗一郎

ワキ井上裕久

地頭は確認できず。

林喜右衛門師が休演で代役は息の林宗一郎師。去年、宝生能楽堂で観能したの楽しみにしていました。

素謡でも、井筒の舞台が脳内再生される。

宗一郎師の謡は、単なる美声ではなく、味わい深い旨味成分が入っている。だから聴いていて飽きない。地謡も締めていて、秋の淋しさの風が漂う雰囲気。宗一郎師の謡はこれ以上越して綺麗になりすぎない方が良いと個人的に思う。歳を重ねるほと、宗一郎師の謡は磨きがかかり、尚且つ味わいも増すと思う。朗とした美声では無く、旨味成分が引っかかりを生み出して謡が流れずに入りやすい。あくまでも自分の感覚)

休憩

仕舞五番

悪くはない。

素謡木賊

シテ観世清和

ワキ片山九郎右衛門

ツレ分林道治

子方片山峻佑

木賊の位を何とか肌で感じれないかと集中する。男物狂物の位はなかなか掴めない。高野物狂とか、蘆刈もそうかな?

老人の物狂だなら尚更わからない。素謡を聴いてみると、位はぶ厚い。老女物や準老女物の謡よりは、調子は高いがテンポはややゆっくり。位の拡がりというものを感じる。位のぶ厚さのまま進み、なんか独特の立ち込める靄が舞台に掛かっている。何所が地謡が崩れ気味になったが、何とか立ち直る。子方の謡がシャキッとして、素謡のアクセントとなる。老人の物狂になる場面は、謡は空間に立ち込める靄が風のように激しく吹いている。老女物の物狂とは違うものだ。物狂の強さは、女物の方がある。

男の物狂は、何処か刹那的だ。

能で木賊を観たくなった。

休憩

仕舞五番

松村美樹師の女郎花と梅田邦久師の代役として野宮を舞った片山九郎右衛門師が良い。

松井師は舞台に現れた時から身体から情熱が立ち込めていた。謡も、去年は迷いがあったように感じたが、今回は膨らますのでなく締めた謡。個人的には松井師の謡はこれで良いとして。身体密度の情念の立ち込めが見事だった。

九郎右衛門師の野宮は、憂いと美しさが共存する絶品の仕舞。秋には能で野宮を舞うみたいなので行こうかと思っている。謡も、無理して調子を抑えてなく、以前の高めの調子ではない良い塩梅となっていた。

素謡葵上

シテ浦田保浩

ツレ橋本光史

ワキ味方玄

ワキツレ大江広佑

地頭杉浦豊彦

シテの浦田保浩の謡が良い。殆ど、シテ謡ばかり聴いていた。地味で渋めな謡だけと、聴けば聴くほどクセになる謡。

去年も、この仕舞と素謡の会に行ったけど、今年の方が見所の雰囲気は良かったように思えた。